自伝。 包丁
このお店に入った時、一番下(ボウズ)だった僕は、
わずか2年余りでフルカブになってしまった。
この頃18歳。
この二年間、かなり濃い時間だった。
今から思えば、この二年間に積んだ修業が今の僕を支えている
と言っても過言ではない。
どんなことでも、よく、「とりあえず3年」と言われる。
料理の仕事も一緒で、一つのポジションを3年こなすと
とりあえず「よし」と言う。
日本には四季がある。
と、言う事は、たとえば魚。
「ハモ」は、まあ難しい(さばくのに)魚だ。
基本、6月~9月によく料理に登場してくる。
それ以外の季節は使わない。(例外もある)
一年のうち、3か月間しか「ハモ」に触れないなら、
一年修業しても、実質3カ月の修業にしかならない。(ハモ料理に対して)
ハモを開いて骨切りするくらいの仕事は、器用な人なら3カ月もあれば
出来るようになるだろう。
それだけなら魚屋さんの仕事。
料理人は、その「ハモ」を使っていろんな料理を作る。
「ハモの湯引き」(京都では「ハモのおとし」と言う)だけではない。
「ハモの湯引き」にしても、梅肉を作ったり、あしらい物を作ったり。
「ハモ」は、あらゆる料理に使用される優れた素材である。
お吸い物、天婦羅、柳川、薄造り、焼き物等々…
そして、とても良い出しがとれる。
そんな仕事を、1シーズンわずか3カ月ほどで憶えられるはずがない。
フグにしてもそう。
野菜物はとくにそう。
春、山菜に始まり、夏の京野菜、秋のキノコ、雪をかぶった冬野菜など。
どれもこれも、1年で憶えることなんて出来ない。
とりあえず3年(3回)経験することで、なんとなく仕事の形になってくる。
僕にとっての2年間、おいまわしをしながらの脇板から始まって立板。
皆が出勤してくる前、休憩中などの時間も利用。
また、若い頃は、なんでも体が憶えてくれる。
ただただ一心不乱に仕事を憶えようと努力をした。
結果、技術的な事は、2年間で4~5年間位の時間を過ごしたくらい
技術を得た。
(また、のちに語ると思うが、あくまで技術。経験がどんなに大事か
のちに思い知らされる)
何度も繰り返して言うが、このお店、ほんとに忙しかった。
だから、よく、大阪から職人さんが「すけ」(スケット)に来ていた。
そして、若い衆(ボウズ)もよく入ってくる。
すけは、職人なので年上。年配の人も来られていた。
ボウズ、といってもこれまた年上(高卒や料理学校卒)
だから、18歳の僕の仕事ぶりをみて、よく驚かれたものだった。
僕自身も、魚をさばくスピード、正確さはどんな職人さんにも負けないつもりだった。
あの頃、よく兄さんに、「○○、華麗なる包丁さばきやぞ」
「誰も(お客さん)見てなくても、常にだれかに見られていると思って
包丁を使え!」
「包丁はなんで長いか分かるか?端から端まで使うんや!!」
とか、包丁さばきについてはずいぶん指導された。
そんな兄さんの包丁さばきに、僕は憧れていた。
続く……
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