自伝。 1986、冬
Sさんが居なくなった寮は、
ベルリンの壁が壊された、のちのドイツみたいに
平和で穏やかな日々が続いた。
次の寮長、まあ、見かけによらず優しい人!!
僕より5つ上の、パンチパーマのMさん。
Sさんの付き人か?と、以前に思った人。
寮のルールが、だいぶんルーズになってはきたものの、
みな、世間一般、常識的なルールは守っている。
仕事が終わり寮に帰ると、みんなでこたつを囲み、
先輩後輩関係なく、まるで家族のような時間を過ごすようになった。
仕事の方はと言うと、
その当時僕は16歳。
同級生で、建設現場なんかで働いている友達らは、
日当7,000円~8,000円くらいもらっていた。
月給にすると、僕の倍は稼いでいる。
しかも、日曜日が休みで、労働時間も短い。
当然周りの友達たちは誘惑してくる。
Sさんはやめてしまった、が、他にも仲間がいる。
正直、その当時、仕事の内容などどうでもよかった。
お金(給料)にもそんなに欲がなかった。
ただ、このお店の寮生活が居心地がよかった。
みんなが好きだった。
それだけでよかったような気がする。
だから、やめたくなかった。
1986年、冬、寮にSさんが僕とMさんを訪ねてやってきた。
「一杯やりにいこうや」
久しぶりの再会、を喜ぶ間もなく
そのまま繁華街へ…
居酒屋で、日本酒を飲んだ。
そして、初めて「ナマコ」を食べた。
味、食感、外見、初めての経験。
とにかく美味しい!!とおもった。
今でも、冬の寒い日に、ナマコをあてに日本酒を飲むと
あの時代にタイムスリップすることが出来る。
繁華街、この中にSさんが今勤めている料理屋があるらしい。
今の料理屋さんの事を色々話してくれた。
店内に大きな水槽があり、たくさんの高級な魚が泳いでいるだとか、
天然の大きなフグをさばいているとか、
とにかく料理の事、使う食材の事など大変熱く語ってくれた。
当時、バブル経済ど真ん中、とにかく景気がよく、
町は大変賑やかだった。
「もう一度、俺と一緒に仕事せえへんか?」 と、Sさん。
「今なら、前以上に仕事を教えることが出来る!」
そのお店でのSさんのポジションは「立板」
ようするに、魚をさばき、お刺身を作る場所。
その仕事を補助する「脇板」というポジションに、今なら僕が付く事が出来る
という話だった。
「そのお店の了解も得てる」、そこまで進んだ話だった。
Sさんからの思わぬ誘い…
とにかく、その夜はよく飲んだ。
続く…
« 秋も深まりつつあります。 | トップページ | 自伝。 終わりと始まり »
「ひとりごと」カテゴリの記事
- 悪戦苦闘…(2016.03.10)
- まかない(2016.03.03)
- 「出し」のきいた料理屋さん。(2016.02.28)
- お昼休み。(2014.12.17)
- 相棒との別れ。(2014.11.22)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント